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原爆投下前の電文内容とは!?原爆投下3発目の場所、都市はどこ?

 
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1945年8月9日の長崎への原爆投下を前に、米海軍への長崎出撃などを禁じた同軍の極秘電文3通が米国立公文書館で見つかったようです。

非常に重要な文書の発見ともいえる今回の件。

気になる内容を整理していきたいと思います。

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原爆投下前の電文はどうやって発見されたのか?

なぜこのタイミングで、そしてどのように発見されたのでしょうか!?

 

米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」という団体があるようで、工藤洋三事務局長が昨年、同公文書館保存のファイルから発見したとのことなのです。

 

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電文の内容とは!?

 

原爆投下前の極秘電文。

気になる内容を見ていきたいと思います。

毎日新聞の記事などを参考に整理していきたいと思います。

米陸軍が主導して原爆投下を極秘裏に進める中、第3艦隊が空母などで編成した第38部隊は8月5日、日本海軍の拠点だった長崎・佐世保を攻撃予定だった。

最初の電文は部隊が太平洋にいた1日付で「4日に(原爆投下の)ターゲットの一つが京都から長崎に変わった」と伝達していた。

出典元:毎日新聞

 

2日付電文は「4日または5日、後に伝える時刻の4時間前から6時間後まで、長崎、小倉、広島の半径50マイル(約80キロ)に入らぬよう」命じた。小倉(北九州市)は投下候補地の一つで、工藤事務局長によると、敵のレーダーを妨害するために空爆機はアルミニウムをまくが、空中に残っている間に原爆を投下すると予定より高い地点で爆発する恐れがあった。時間を区切ったのは、作戦の成功と米兵の被ばく防止の狙いがあったとみられる。

出典元:毎日新聞

 

このような驚きの内容でした。

 

 

そして更に、驚きの事実が判明しました。

 

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三発目の原爆投下の具体的な計画

 

今回発見された極秘電文。

先程の内容に加え、三発目の原爆投下が具体的に計画されていた、ということが判明したのです。

 

一九四五(昭和二十)年八月九日に長崎市に二発目の原爆を投下した米軍が、三発目の原爆を日本に投下する具体的な計画を立てていたことが、米軍の公文書から裏付けられた。

長崎と同型の爆弾をすぐに製造し、予定を早めて十七日以降に標的に投下するという内容。

 

仮に三発目の原爆も投下されていたとしたら...

広島、長崎での惨状を知った当時のハリー・トルーマン大統領が中止命令を出したことで計画は止まったとのことなのですが、長崎の次の投下を性急に実行しようとする動きがあったと報じています。

 

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3発目の原爆投下 具体的な計画内容は?

 

文書は長崎への原爆投下翌日の八月十日付で、米陸軍のレスリー・グローブズ少将から、陸軍全体の作戦を立案していたジョージ・マーシャル参謀総長に宛てた報告とみられています。

【電文の日本語訳】

参謀総長へ

爆縮型(=長崎型)の次の爆弾は、1945年8月24日以降の最初の好天の日に投下される予定となっていました。われわれは製造に4日をいただき、最終部品を8月12か13日にニューメキシコから送る見込みです。製造や、戦地への輸送、もしくは戦地に到着後に予期できない困難がない限り、爆弾は8月17か18日以降の最初の好天の日に投下できる見込みです。

グローブズ少将

今回の発見により、今後どのような進展があるのでしょうか!?

 

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